コロツケーのつくりかた |
1:材料の準備 |
(写真は四人分の食材です) 材料の準備(一人分)鮭缶肉(または牛缶肉)、70グラム卵、4グラム 食塩、少量 ソース、20ミリリットル 玉葱、30グラム パン粉、20グラム ラード、10グラム 馬鈴薯、180グラム 小麦粉、10グラム 胡椒、少量 玉菜、200グラム ※注:今回は鮭缶(樺太マス)を使いましたが、勿論牛、豚、鳥肉でも結構です。 |
2:馬鈴薯を潰す |
馬鈴薯をよく洗ってから皮付きのまま茹で、茹であがったら 鮭缶肉とともに桶か大きめのボール、すり鉢などに入れて搗 き潰します。なお、ポテトは水っぽくなると余り美味しくあ りませんから、缶詰めの汁は入れないほうが良いでしょう。 |
3:玉葱を炒める |
玉葱は微塵切りにし、ラードで炒めておきます。 ※注:精肉を使う場合は、挽肉ないしは細かく切った肉を準備し、玉葱と一緒に炒めると良いでしょう。 |
4:付け合わせの準備 |
玉菜は千切りにし、ざっと湯通ししてから笊にとっておきま す。 |
5:具を混ぜ合わせる |
馬鈴薯と鮭缶肉を潰したものに、玉葱、パン粉少々、食塩お よび胡椒を加え、よく捏ね合わせます。 |
6:コロッケの形をつくる |
材料をよく混ぜ合わせたら、扁平または枕型の団子に丸め、 小麦粉をよくまぶしておきます。 ※注:パットに必要分の小麦粉を入れ、その中にコロッケを入れて粉をまんべんなく付けるようにしましょう。 |
7:パン粉を付ける |
パッドに卵を割り入れ、よく混ぜてから卵と等量の水を加え、 もう一度かき混ぜます。そこに小麦粉をまぶしたコロッケを よく浸し、すぐにパン粉を付けます。 ※注:小麦粉と同様に、パン粉もパッドの中に必要分を入れ、卵水に浸したコロッケをその中に転がすようにして、まんべんな くパン粉をつけます。 |
8:コロッケを揚げる |
フライパンにコロッケが充分浸る程度にラードを入れ、充分 熱してからコロッケを入れ、約一分間程度、衣が狐色になる 位まで揚げます。 |
7:完成 |
皿にキャベツを盛り、コロッケを並べれば完成です。ソース をかけて召しあがれ。 ※注意点:1使用する油はなるべく多くし、且つ、油の熱は強くしましょう。そうしないと揚げている最中に崩れる恐れがあります。 2コロッケの材料は水分の少ないもののほうが向いています。 とくに馬鈴薯でも水気の多いものを使わなくてはならない場 合には、潰したイモの中にパン粉を七、八グラム程を混ぜ込 み、つなぎにすると良いでしょう。 3コロッケにパン粉をつける時は、強く圧えつけて付けるの ではなく、パン粉の中を転がすよう付けてから、手で形を整 えるのが良いでしょう。 備考日本における洋食の王様といえば、カレーにトンカツ、そしてコロッケが挙げられましょう。コロッケは明治中頃から日 本でも食べられるようになったとされていますが、庶民への 普及は、大正にはいってからとなります。とくに、大正六年 (1917)、浅草オペラの公演がはじまると、その中に使われ た「コロッケの歌」が一世を風靡しました。「今日もコ〜ロ ッケ明日もコ〜ロッケ」という歌は、「ベアトリ姐ちゃん」 とともに、華やかで、朗らかな大正の大衆文化を象徴するも のと言えます。 これまでもたびたび触れてきたように、『軍隊調理法』は昭 和六年の刊行ですが、そこに記されている料理の数々は、ま さしく大正期から積み上げられてきたレシピに他なりません。 浅草にコロッケの歌が鳴り響いていた頃、「兵隊屋敷」(兵 営)ではコロッケが食べられていました。東京っ子の兵隊は 浅草を懐かしみつつ食べたかもしれません。あるいは、生ま れて始めてコロッケを口にする者も多かったでしょう。多く の兵隊は、貧しい農村出身者だったのです。平時の兵隊屋敷 においては農村の日常生活では考えられないような食事が供 されていました。無論、これは兵の士気と健康を維持するた めでしたが、結果的に、兵隊屋敷は多くの日本人に洋食体験 をもたらす場ともなったのです。 兵隊達もコロッケを愛していました。後の大東亜戦末期、ラ バウルなどの孤立した前戦においては、現地自活が軌道にの ってくると、タピオカ芋に鮭缶をまぜ、椰子油で揚げたコロ ッケが作られたものです。 おっと、最後にお味の方は・・・勿論美味しいに決まってい ます!大正ロマンの味をお試しください。(調理・文責、中 山郁。協力、中山恵美子) |