平和の門
奉献の記
基第二八〇二部隊(歩兵第六十六聯隊)は、昭和十六年夏動員により南満州を経て南支那に転進、太平洋戦争開戦と共に香港攻略戦に参加し、占領後は広東地区の警備に任じ十七年秋、南海方面に進出し東部ニューギニアのサラモア、ウエワク、アイタベ等の各地区において炎熱、飢餓、悪疫等の悪条件の中にあって、常に優勢な敵と死力を尽くして戦い、二十年八月十五日に終戦を迎えました。この間約4千名の尊い戦友を失い、ここ栃木県護国神社には二千六百余名が合祀されております戦後生存戦友は、基〇二会を結成いたし、亡き戦友の偉勲を顕彰し、毎年慰霊祭を行って参りました。終戦五十周年を迎えるに当たり、会員の総意を結集して、ここに平和の門を奉献し、亡き戦友の鎮魂を祈念すると共に併せて部隊名を永く保存することに致しました。
平成七年八月十五日
基〇二戦友会
基第二八〇二部隊(歩兵第六十六聯隊)は、昭和十六年夏動員により南満州を経て南支那に転進、太平洋戦争開戦と共に香港攻略戦に参加し、占領後は広東地区の警備に任じ十七年秋、南海方面に進出し東部ニューギニアのサラモア、ウエワク、アイタベ等の各地区において炎熱、飢餓、悪疫等の悪条件の中にあって、常に優勢な敵と死力を尽くして戦い、二十年八月十五日に終戦を迎えました。この間約4千名の尊い戦友を失い、ここ栃木県護国神社には二千六百余名が合祀されております戦後生存戦友は、基〇二会を結成いたし、亡き戦友の偉勲を顕彰し、毎年慰霊祭を行って参りました。終戦五十周年を迎えるに当たり、会員の総意を結集して、ここに平和の門を奉献し、亡き戦友の鎮魂を祈念すると共に併せて部隊名を永く保存することに致しました。
平成七年八月十五日
基〇二戦友会