栃木県護国神社の境内


「第三十三師団第二百十四聯隊戦没者慰霊塔」



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正面
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「慰霊」
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名称碑

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吾が聯隊は昭和十四年三月白虎隊の精神を受継ぐ会津若松聯隊に於いて編成を終え勇躍一路支那大陸に出陣かん湘会戦を初め錦江作戦中原会戦続く普察冀辺区作戦など数次に亘る戦闘に参加その都度赫々たる武勲をたて大東亜戦争の勃発するや長駆南方戦線へ転進を命ぜられ泰国「バンコック」へ上陸泰緬国境の峻険を突破ビルマ戡定作戦に入るや破竹の快進撃を続け遂に敵の要衝「ラングーン」そして「エナンジヨン」の油田地帯を占領中部ビルマ一帯の掃蕩を完了数々の感状を受領。 然し十九年に入るや各戦線とも熾烈な反撃を受け作戦転換を余儀なくされた方面軍は「インパール作戦」を企図約十ケ師団二十三万の兵力を投入無謀に等しい戦闘にも拘らず聯隊はひたすら祖国の安泰と平和を念じ愛国の血と白虎魂を以って圧倒的優勢を誇る敵軍を動揺せしめた。 この間彈薬食料の欠乏と悪疫を克服斬込み肉薄攻撃など悪戦苦闘実に三年有余その犠牲は十八万人を数え而もその大半は宇都宮師団管区内に属し本県出身者も実に五六八五名の勇士がビルマの山野に再び還らぬ護国の鬼神と化したその尊い遺骨の大半は未だに異国の山野に埋もれ収集と慰霊塔の建立は遺族戦友は勿論国民の一大悲願であり吾等生存者一同の責務でもある。
昭和四十六年一月ビルマ戦跡慰霊巡拝の壮途に参加した増渕幹男氏は一同を代表して山野の英霊と再会碑の建立を誓い碑中に奉納すべく現地の仏像と戦場の石をひそかに運んだ。 聖域に南十字星輝くこの碑は亡き戦友の死闘を後世に伝える無言の戦史であり平和の希求である。殉国の英霊願わくばとこしえに安らかに眠り給え 茲に吾等はその御遺功をたたえ聯隊の武勲を永久に顕彰するものなり。

昭和四十六年九月廿日
元支那、元ビルマ
派遣第三十三師団歩兵第二百十四聯隊
             生存者一同






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