白鹿丸遭難之碑
碑 文
兄小田尚命は さきの第二次大戦において陸軍少年飛行兵を志願し 昭和十七年四月東京陸軍航空学校に入学 昭和十八年3月同校卒業同年四月陸軍航空通信学校(水戸)に入学 翌住区年七月同校卒業 第三航空軍に配属されその任地に赴くにあたり瑞穂丸に乗船 同年九月二十一日比島周辺で沈没 護衛駆逐艦に救助された その後白鹿丸に乗船 少年飛行兵第十四規生(甲)二十一名を含む軍人約二千名と軍需品を積載 船団を編成してマニラから シンガポールに向かい航行中 十月十八日午前七時五十分ごろ東経一一九度五一分 北緯十四度〇四分地点で敵の潜水艦により撃沈され 名誉ある戦死をとげた
正に弱冠十九才
ここに兄の戦績を偲び文碑を建立した
平成十六年十二月八日
小田信明(博)
「九百九十九日の青春」に基づいて編集
第十四期生甲 大曽根 敬雄
小田 清子
兄小田尚命は さきの第二次大戦において陸軍少年飛行兵を志願し 昭和十七年四月東京陸軍航空学校に入学 昭和十八年3月同校卒業同年四月陸軍航空通信学校(水戸)に入学 翌住区年七月同校卒業 第三航空軍に配属されその任地に赴くにあたり瑞穂丸に乗船 同年九月二十一日比島周辺で沈没 護衛駆逐艦に救助された その後白鹿丸に乗船 少年飛行兵第十四規生(甲)二十一名を含む軍人約二千名と軍需品を積載 船団を編成してマニラから シンガポールに向かい航行中 十月十八日午前七時五十分ごろ東経一一九度五一分 北緯十四度〇四分地点で敵の潜水艦により撃沈され 名誉ある戦死をとげた
正に弱冠十九才
ここに兄の戦績を偲び文碑を建立した
平成十六年十二月八日
小田信明(博)
「九百九十九日の青春」に基づいて編集
第十四期生甲 大曽根 敬雄
小田 清子