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栃木県護国神社

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栃木県護国神社の戦没者慰霊巡拝

平成18年度 サイパン島慰霊巡拝

随行神職:栃木県護国神社資料館 中山郁
日程:平成18年6月20日〜6月23日(4日間)
巡拝地:中部太平洋戦没者慰霊碑、バンザイクリフ、スーサイドクリフ、バナデル飛行場跡、マニャガハ島、チャランカノア、アスリート飛行場跡、アメリカン・メモリアルパーク、黒木大隊玉砕地

 昨年天皇陛下が御訪問されたこともあり、これまで千葉県および当神社の慰霊巡拝では行っていなかったサイパン島への慰霊巡拝を企画しました。今回は栃木県の御遺族6名と千葉県からの参加者2名、あわせて8名の方が参加されました。一行は先ず中部太平洋戦没者の碑前で慰霊祭を営んでから島内を巡拝し、山や森、島をわたる風のなかに在りし日の肉親の姿を偲んでおられました。また、短い日程ながら参加者一同の団結は固く、帰国後に護国神社に集まり同窓会が開かれたほどでした。

 今回は左記の行程をとりました。

6月20日(火) 成田空港を出発、15:00にサイパン国際空港(日本軍のアスリート飛行場跡)に到着、ホテルに入り疲れを休めました。

6月21日(水) 午前10時、日本政府建立の「中部太平洋戦没者慰霊碑」前でサイパン島戦ならびに全中部太平洋方面戦没者の合同慰霊祭を斎行。祭典終了後にマッピ岬、バナデル飛行場跡、スーサイドクリフ等を巡拝。ホテルに戻り昼食。午後は自由行動。

6月22日(木) 午前中はマニャガハ島(軍艦島)の海軍砲台跡を巡拝。午後はバスにてチャランカノアに残る日本家屋や南興神社跡、アスリート飛行場(海軍の防空壕、弾薬庫跡や戦車、慰霊碑など)、ドンニーの野戦病院跡、アメリカン・メモリアルパークの博物館を巡拝及び見学。

6月23日(金)午前中にアギガン岬、オブジャン岬の日本軍トーチカ、ヒナシスの黒木大隊玉砕地を巡拝。17:00にサイパン発、19:30に成田着、解散。

 次に、慰霊巡拝に参加した御遺族のお気持ちを知って頂くため、サイパン戦で父上を亡くされた御遺児姉妹の読まれた追悼の言葉を掲げます。

追悼の言葉

昭和十九年三月父に赤紙が来ました後で思うと戦争も終りに近づいていたのです。若い母私達小学校三年生と一年生の姉妹を残し後髪を引かれる思いで横須賀海兵団に入隊しその後サイパン島に移ったと手紙を何回かもらいました。幼かった私達はその島がどのあたりかわかりませんし、手紙の内容も覚えていません。やがて戦争も激しくなり昭和十九年七月サイパン玉砕が報じられ、国のため子孫のため立派に役目を果たし、戦死したのです。 しかし戦死の報が届いたのは一年過ぎた昭和二十年でした。残された三人で苦労しながらも今は姉妹それぞれ孫にも恵まれ、しあわせに暮しております。母は昭和六十二年十月七十四才で亡くなりました。
 戦後六十年の歳月がたち、このたび栃木・千葉の護国神社、株式会社ワールドビジネスコミュニケーションズの方々のご配慮により、立派な慰霊祭を行っていただきありがとうございます。今ここサイパン島に父がふみしめた土、空気を身近にし、感無量です。

 最後に諸英霊の安らかなるごめいふくをお祈り致しまして追悼のことばと致します。

栃木県宇都宮市

長女 S・T
次女 K・S

サイパン島慰霊祭の様子


サイパン島北端、日本政府建立の「中部太平洋戦没者慰霊碑」


慰霊碑前における合同慰霊祭


栃木県護国神社神職により、戦没英霊をはじめ殉難された在留邦人など、戦火に仆れられた方々のみたまを慰める祭詞が奏上されました。


海軍軍人であったお父上がサイパン島で玉砕された姉妹の慰霊のことば。


遺児夫妻による慰霊のことば奏上。旦那様の父君は高射砲25聯隊の一員としてサイパンで玉砕されました。



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