平成20年度 西部ニューギニア慰霊巡拝
随行神職:栃木県護国神社資料館 中山郁日程:平成20年5月21日〜5月27日(7日間)
巡拝地:ホーランジャ(現・ジャヤプラ)、ゲニム、マノクワリ、ムミ、マカッサル
本年の西部ニューギニア慰霊巡拝は千葉・栃木県からの参加者がなく、遠路山梨、岡山、山口、大阪からの遺族が参加された。そのうち最高齢者は90歳、夫をマノクワリで失った戦没者の御夫人であります。
今回はインドネシア国内の航空機事情により、ホーランジャ滞在が2日間と短くなってしまったが、その分、マノクワリ地区の慰霊巡拝に時間をかけることが出来ました。また、ホーランジャやマノクワリ地区の道路舗装が進んだこともあり、ゲニムやムミの巡拝が比較的スムーズに行なうことが出来ました。とくに、これまで一般の巡拝ではなかなか入ることの出来なかったムミ地区に参拝できたこともあり、参加御遺族の方に喜んでいただけたと思います。また、今回参加された御遺族のほとんどは、日本遺族会などの慰霊巡拝に何度も参加されている方々で、その慰霊への熱意と行き届いたお参りの行ない方には大いに勉強させていただきました。
西部ニューギニアの暑さにも負けず、真摯な祈りの中にも和気あいあいとした、すばらしい慰霊巡拝でありました。
1 センタニ飛行場
ホーランジャ(現、ジャヤプラ)の玄関口。戦時中は日本陸軍の飛行場でもありました。目の前の高い山はシュクロップ山系。ホーランジャから撤退した多くの陸海軍部隊将兵が、この山の麓で生命を失いました。
2 ゲニムでの慰霊祭
民家の裏庭に、古い木標と銃器、水筒、鉄帽などの遺品が集められています。ホーランジャから撤退した日本軍七千名は、ここからさらにサルミまで徒歩で撤退をしましたが、そのほとんどが途中、飢えと病に斃れました。
3 マノクワリの野戦病院での慰霊祭
一見、ジャングルのように見えますが、実は車を降りて5分も歩いておりません。かって深い森の中に埋もれていた病院跡の目の前まで、宅地開発の波が押し寄せています。
4 慰霊祭後の記念撮影
ご遺族、神主うちそろっての記念撮影です
5 御遺族の心づくしの供物が供えられます
戦没された父兄、伯叔父に食べさせてあげたい一心で、御遺族が準備し、お供えしたお結びやお茶、お菓子やたばこが祭壇上所狭しと並べられています。仏像、戒名も御遺族のお気持ちを示すもの、喜んでお供えさせて頂きます。
6 ムミの海岸で慰霊の詞を述べる御遺族
戦没地はここからさらに離れたウインデシ海上ですので、今のところ陸路でもっともウインデシに近づけるムミまで行き、そこから海上に眠る御英霊をお祭りさせて頂きました。
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