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栃木県護国神社

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栃木県護国神社の戦没者慰霊巡拝

平成21年度 東部ニューギニア慰霊巡拝

随行神職:栃木県護国神社資料館 中山郁
日程:平成21年8月29日〜9月5日(8日間)
巡拝地:ウエワク、マダン、ラエ、ポートモレスビー各地区

 本年度は栃木県内はもとより、愛知県や京都、四国から御参加のご遺族・崇敬者12名が東部ニューギニアへの慰霊巡拝に参加されました。とくに今年は、パプアニューギニア独立の父であるマイケル・ソマレ現首相をオーストラリアからの独立運動に導いた、故柴田幸雄中尉の妻、チヨ様や、鹿沼からこれで四回目の参加となる竹澤様などの御遺族のほか、千葉県からは御英霊のひまごに当たる学生さんが参加されるなど、大変バラエティーに富んだ団員構成となりました。

 今回は東セピック州の州都、ウエワクで合同慰霊祭を行ってから、65年前に日本軍が米軍に最後に決戦を挑んだアイタぺ作戦最大の激戦地、アファ村をはじめ、日本軍司令部の置かれていたカラワップ(猛錦山)、日本軍の自活地であったモロネ村、カウプ村などを訪問し、随行神職によって慰霊祭が行われました。これらの地は通常の旅行はもとより、日本遺族会が行う慰霊巡拝でも先ず行けない場所です。ことに当神社の巡拝では、他の慰霊団では極めて難しいとされるアファ村までの巡拝に、三年連続で成功しておりますが、これは参加御遺族の努力はもとより、当神社巡拝団がもつ旅のスキルが高まってきていることを示すものです。また、モロネ村近くのトゥモロー小学校では、遺族の竹澤さんが小学校にリコーダー多数を寄贈して小学校の先生や児童との交流を深めたり、カウプでは柴田チヨさんの来訪に対して村人こぞっての歓迎を受けました。また、夕刻にカラワップで慰霊祭を行った後、夜の山道を歩く御遺族方の足元を、村人たちが松明やランプで照らして無事に車まで送って頂いた感激も忘れることができません。そして、参加者総出で地元の材料を用いて祭壇を作って行った、マダン市郊外アレキシスハーフェンでのお祀りも、素晴らしいものでした。

 以上のように、今回は、御遺族方が希望される、御英霊の戦没地へ、またはそこに一歩でも近い場所まで進み慰霊祭を行い、地元の人々と交流するという、当神社の慰霊巡拝コンセプトが最大限に発揮できた巡拝となりました。

1洋展(天)台山腹の高射砲陣地跡


車道から歩いて5分ほどのところにあります。藪のコンディションにもよりますが、高射砲は例年5門ほど見学できます。

2 ウエワク平和公園、日本政府建立慰霊碑前での祭典



至心に御英霊への気持ちを述べられる御遺族。

3 トゥモロー小学校へのリコーダー寄贈


鹿沼市在住の、51師団の御遺族が、義父の戦没地近くにある小学校に、リコーダーを寄贈。音感の良い子供たちが、早速試しに吹いていました。

4 「タイヤ、バカラップ!」


「バカラップ」とは現地のピジン語で「壊れる」という意味。アイタぺ方面での巡拝途中、タイヤがパンクしてしまい、修理に一苦労。こういうことも、ままあるのが東部ニューギニア巡拝です。

5 サクサク作り


坂東河への巡拝途中、サゴヤシの木の幹を砕いている村人に出会いました。この木の幹を砕き、水にさらして揉むと「サクサク」いうデンプンが採れます。サクサクはこの地域の人々の主食で、戦時中、日本兵も食べていました。

6 アファ村での慰霊祭


20師団の御遺族とともに、本年もアファ村までお参りすることができました。祭壇を積んだ車が行方不明となったため(間違えてアイタぺの町まで行ってしまったそうです!)、ありあわせのもので祭壇を作り、全員心を合わせて至心に慰霊祭を行いました。

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