平成21年度 東部ニューギニア慰霊巡拝
(つづき)7 カラワップ村での慰霊祭
18軍司令部の置かれていた猛錦山付近のカラワップ村で、電信3聯隊の御遺族を祭主として慰霊祭を行いました。村への到着が遅れたことから、おまつりを始めるころには日が暮れてしまい、浄闇のなかでのお祭りとなりました。村の人々が、ローソクの灯で祝詞や御遺族の足元を照らしてくれました。
8 カウプ村の小中学校生徒と記念写真
戦時中、カウプ村で現地自活をしていた船舶工兵9聯隊の柴田幸雄中尉(キャプテンシバタ)の奥さん、柴田チヨさんが訪問したので学校では大歓迎です。キャプテンシバタは戦時中、現地自活の御礼のため、村に学校を作り、子供たちに算数や歌、英文字などを教えつつ、白人支配からの独立を説きました。その教え子が、当時カウプで暮らしていた、現パプアニューギニア首相のマイケル・ソマレ氏です。
9 柴田夫人を歓迎するカウプの子供たち
子供たちが日本の歌(戦時中、日本兵が教えたものです)を歌いながら「シンシン」(民俗舞踊)を踊って柴田夫人と、われわれを歓迎してくれました。踊りの音頭をとっているのは、キャプテンシバタの学校でソマレ首相と同級生であったアベルカインさん。日本の歌をたくさんご存知です。
こちらで、カウプ村に伝わる日本の歌を録音させていただいたものをお聴きになることができます。
10 モロネ村での慰霊祭
モロネはウエワクからそばのアレキサンダー山系の中にある小さな村です。ここでも51師団をはじめとする日本軍各部隊の病兵が倒れていきました。
11 モロネ村での記念写真
モロネのみなさん、本当にありがとうございます。また、ご縁がありましたらお参りさせて頂きたいと思います。
12 アレキシスハーフェンの慰霊祭祭壇
ニューギニア航空の手違いで、祭壇がウエワクに取り残されてしまったため、参加者全員で工夫をして祭壇を設け、飾り付けをいたしました。
13 ハヤ村のみなさんと記念写真
マダン近郊のハヤ村にシンシンの見学に行きました。戦時中、この村の近くのアメレーに20師団司令部があったことから、村長さんは日本兵と仲良くなったそうです。
14 マダンでの会食
慰霊巡拝最終日に直会を行います。みなさん、肩の荷を下ろし、旅の疲れも苦労も全て楽しい思い出として、心から寛いで歓談されました。
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