「なぐさめ、なぐさめられる世界―海外戦没者慰霊巡拝―」
國學院大學研究開発推進センター専任講師(当時) 中山郁『神社新報』 平成18年 月 日 記事転載
平成十七年東部ニューギニア慰霊巡拝 カラワップでの慰霊祭
肌にまとわり付く湿気と、焼け付く日差の中に設けられた祭壇の前へ、慰霊の詞を述べるために御遺族が進み出る。懐から読み上げ原稿を取り出したものの、黙り続けておられる。張り詰めた緊迫感が臨界に達しようとするとき、堰を切ったように言葉が迸り出る「あんちゃん」「おじさん」「とうちゃん」。人生の重みを示す白髪をたたえた男女たち。日本の高度経済成長期を働き抜き、また、今も社会の第一線で生き抜いている海千山千の男女が、傍目もはばからず子供のように語りかける。奔騰する感情に身を委ねる人もあれば、また、静かに話しかける人もいる。「プラットホームでの面会が終わって別れたとき、最後に切なくなってもう一度、兄ちゃん、と呼んだら来てくれたね。でも、それで集合に遅れて上官にぶたれているのを見ました。にいちゃん、ごめんなさい」。戦死した兵隊達の年齢を、遥かに超えた老人達が、7歳の少女や5歳の童子になり、その言葉遣いで故人に語りかけ、甘えかかることもしばしばである。海外戦没者慰霊巡拝とは、六十数年前にその地で失われた魂との、遙かな歳月と空間と年齢差を飛び越えた上での邂逅の場なのである。
千葉県護国神社と栃木県護国神社は、平成十二年から共同で海外戦没者慰霊巡拝を続けている。これはもともと、千葉県護国神社の竹中啓悟宮司の強い熱意により、関東護国神社会の行事として始められ、それを千葉及び栃木の護国神社が受け継いだものである。本年は終戦六十周年記念として、二月のビルマをはじめとし、六月にフィリピン、七月にはパラオ諸島、そして九月には東部ニューギニアと、例年より多くの地域への慰霊巡拝を実施した。筆者は栃木県護国神社で慰霊巡拝業務を手伝い、また、本年を含めて幾度か随行神職としてこの旅に参加させて頂いている。そこで、筆者が経験した範囲ながら、我々の慰霊巡拝について紹介してみたい。
この慰霊巡拝では、千葉または栃木の護国神社神職が、祭壇や神具、装束の一式を持参した上で随行し、参加者ゆかりの御英霊が最後を遂げられた地、もしくはそこに最も近い場所まで進んだ上で慰霊祭を齋行する。参加者は、戦没者の遺児や兄弟、甥が中心となるものの、近年は孫、ひ孫世代の参加も見られるようになっている。特に近年は戦没者の遺児や弟妹達が定年を迎え、ようやく自分の時間を持つことが出来るようになったことから、参加を決意する傾向が目立っている。ある遺児は「これまではやはり、生きている人(家族)優先になっちゃうから、それが落ち着いたから来られるようになった。それに、こういうの(慰霊巡拝)をやっているのを今まで知らなかったし、それを知り、来ることが出来たというのは、来るべき時期が来たからでしょう」と語る。人生の段落を迎え、心に余裕が出来たとき、ふとした機会に導かれ、参加を申し込むという人は多い。人々は、それを御英霊のいざないであると考えるのである。
次のページへ
参考資料室メニューに戻る