東部ニューギニア戦線慰霊巡拝案内−ウエワク地区−
栃木県護国神社資料展示室 中山郁1:はじめに
戦時中、兵隊たちに「ジャワは極楽ビルマは地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と言われたニューギニアの戦いは、大東亜戦争で日本の将兵達がなめたありとあらゆる惨苦が凝縮された戦場といわれています。特に現・パプアニューギニア(PNG)北岸一帯を舞台とした戦域(東部ニューギニア戦線)は、昭和17年から20年8月までの戦いで12万、または15万名とも言われる日本軍将兵が戦没し、終戦時に帰国できたのは約1万名に過ぎません。これらの戦没者の多くは戦闘による「戦死」ではなく、飢えや病いによるものでした。次のページへ
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