平成17年度 東部ニューギニア慰霊巡拝記録
(つづき)1:ウエワク
ウエワク空港に降り立つ御遺族方。このあとホテルで昼食をとり、午後からの巡拝に備えます。
ウィンジャーマンホテルの昼食、「スパム入りの中華うどん」としか表現しようのないものですが、存外美味しいものです。
これがニューギニア名物「サクサク」の団子。サクサクとは、サゴ椰子の幹から採った澱粉のことです。戦時中、現地自活中の日本兵はこれを主食とし、葛湯にしたり、焼いたり、うどんにして餓えを凌いでいました。
慰霊祭に先立ち、先ず、市場で神饌(お供えもの)を調えます
洋展台の慰霊碑。洋展台の名は第4航空軍(洋部隊)の通称に由来します。この場所には戦時中、第20師団(朝部隊)司令部や電探(レーダー)が置かれていました。また、昭和20年5月、ウエワクに進攻したオーストラリア軍と、日本軍はこの山で凄惨な戦いを繰り広げました。
洋展台直下に残る、陸軍の高射砲陣地。昭和20年5月のウエワク戦に際し、これらの高射砲は市内のオーストラリア軍を砲撃し、その進攻を食い止めましたが、ついには火炎放射器の攻撃によって破られてしまいました。
阿部岬(ボラム岬)を巡拝される御遺族方。ここには第41師団(河兵団)司令部や病院が置かれていました。海岸陣地の跡が一部残っています。
ウエワク平和公園。日本政府建立の慰霊碑前における合同慰霊祭
日本から祭壇や榊、三方などの祭具はもとより、装束に至るまで全て準備して、丁寧にお祀りを御奉仕させて頂きました。
御遺族が思い思いに、日本から思いを込めて持ち寄った供物を祭壇にお供えします。このウエワクでは、東部ニューギニア戦の戦没者、そして竹澤キヨ江さんの父君で、第51師団輕重兵第51聯隊の衛生兵、竹澤喜作命と、増渕正高さんの叔父、第51師団司令部所属の増渕利雄命をお招きしてお祀りを行いました。
「慰霊のことば」の際、竹澤さんは父君に誠を以って語りかけ、増渕さんは参列の御遺族方への感謝を表明されました。
ウィンジャーマンホテルの夕食、もともと余り味付けの文化がなかった地域であっただけに、料理もやや薄めの味が多い。しかし、ビールの美味しさは、恐らく太平洋地域NO1であろう!!
キャプテンシバタ(柴田幸雄中尉)の夫人、チヨさんを訪ねてきたパプアニューギニア首相、マイケル・ソマレ氏。
ソマレ首相から、慰霊巡拝参加者全員に、セピック地方の民芸バッグがプレゼントされました。
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