平成17年度 東部ニューギニア慰霊巡拝記録
(つづき)2:慰霊巡拝
カラワップ、18軍司令部のあった猛錦山を望む場所で慰霊祭を行いました。ここでは、ボイキン地区戦没者並びに、この地で戦没された、染谷光太郎命の御霊をお慰め申し上げました。遺児の染谷久子さん、お孫に当たる清美さんが、涙声で命や、その戦友方に話しかけ、生者と死者との、素晴らしい交流の時が持てました。
マルジップ村にある日本軍慰霊堂。この一帯は昭和19年秋以降、オーストラリア軍に対する日本軍の最前線でした。堂の内部には戦友会や御遺族が納めた沢山の塔婆があります。
ここでは、柴田チヨさんの兄君、宮下選命と、齋藤利一さんの父上、齋藤守利命の慰霊祭を行いました。おふたかたの御英霊はともに第41師団の御所属で、齋藤守利命はこのマルジップにて、宮下選命はここからトリセリー山系に入った第一マリンにて戦没されました。
第41師団はニューギニア各部隊の中でも、最も過酷な運命を辿った部隊のひとつです。
スマタインの集落、昭和19年の夏から秋にかけて、アイタぺ戦に敗れて撤退する日本兵の多くが、このあたりで餓えと病によって力尽きていきました。
ここでは第41師団歩兵第239聯隊の長谷川作平命の慰霊祭を執り行いました。祭壇には、本来なら作平命が跡を継いで耕す筈であった田んぼで取れた初穂がお供えされました。
命の弟妹にあたる長谷川義雄さん、長谷川スイさん、石原静枝さんが慰霊の言葉を述べられました。慰霊の言葉を終え、元の席に戻りかけた妹さんが、また祭壇の前に戻り、腰をかがめ「おにいちゃん」と、呼びかける姿を見て、涙が出てしまいました。
山南地区、モダンガイ村。竹澤さまの父君はここから4キロ先にあったモロネの患者収容所で亡くなられました。そこで、車を用いて最もモロネに近づける場所としてここまで入り、遥拝することにしました。
この椰子の木の下に、日本兵の骨が埋まっているという。ここでも参拝させていただきました。モダンガイ一帯は宇都宮の歩兵第66聯隊の自活地域で、今も村人達は河原中尉、飯塚軍曹などの宣撫班員の名を懐かしんでいます。しかし、村人達の協力にもかかわらず、多くの将兵がウエワク森山からモダンガイにかけての一帯で倒れ、地獄のようなありさまであったといいます。
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