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栃木県護国神社の戦没者慰霊巡拝

平成19年度 東部ニューギニア慰霊巡拝

随行神職:栃木県護国神社資料館 中山郁
日程:平成19年9月8日〜9月15日(8日間)
巡拝地:ウエワク、板東河畔、マリン、ボイキン、カウプ村、モロネ村、コイキン観音、マダン、マダン湾、ヤボフ村


ウエワク 洋展台(ミッションヒル)に残る日本軍高射砲

本年の東部ニューギニア慰霊巡拝は、栃木県からの御遺族が二組三人であったのに対して、埼玉県、愛知県、福岡県などの他県からの参加者が多く、さらに御遺族ではないものの、御英霊に慰霊の誠を捧げようとするお気持ちの篤い方々が参加されるなど、バラエティーに富んだ慰霊団編成となりました。これは当神社のホームページ上に設けている、「海外戦没者慰霊巡拝」紹介のページの成果がいよいよ現れてきたことを示しています。

一行は九月八日に成田を出発し、九日朝にパプアニューギニアの首都、ポートモレスビーに到着、そこから国内線に乗り換えて東セピック州の州都であるウエワクに入り、日本政府建立の慰霊碑前にて合同慰霊祭を行い、東部ニューギニア戦で戦没された戦没者のみたまに慰霊の誠を捧げました。

翌十日、猛暑と悪路を冒して板東河畔のアファ集落まで進み、参加者の山本重憲様のおじ様で、第二十師団に所属してこの地で戦死された山本勝巳命の慰霊祭を行いました。さらに帰路、鶏川(マルジップ付近)において、上流のマリンで兄上の宮下選命(四十一師団)を亡くされた宇都宮市の柴田チヨ様を施主とする慰霊祭、さらにボイキンの慰霊碑前で、那須喜美恵様によって、この地の兵站病院でなくなられた祖父の長堀惣太朗命(電信第三聯隊)の慰霊祭を斎行いたしました。

十一日はセピック河付近のカウプ村を訪問。この村は戦時中、柴田チヨ様の夫、柴田幸雄中尉(船舶工兵第九聯隊、故人)が現地自活と宣撫のために村に住みながら、村人のために学校を開いたところです。柴田様は数年前、カウプ村に新しく学校を建てるために多額の寄付を行いましたが、昨年、校舎の一部が完成したので、慰霊団全員で学校訪問をすることになりました。学校では全生徒が集まったうえ、「アメアメ降れ降れ母さんが〜蛇の目でお迎え嬉しいな〜」「木曽の中乗りさん〜」など、戦時中に日本兵が村人に教え、現在も村に伝わっている歌をうたって歓迎してくれました。

帰路は鹿沼市の竹沢キヨ江様の父上、竹沢喜作命が戦没されたモロネ村を訪問し、そこから往復1時間のジャングル歩きの末に、喜作命が戦没された、まさにその場所において慰霊を行うことが出来ました。そのうえ、戦中に村で自活していた日本軍の様子を覚えておられるモロネ村の高齢者にお会いできるなど、御英霊のお導きとしか言いようのない、恵まれた巡拝を行う事が出来ました。

十二日は午前中、洋展台やコイキンの観音様(長野県ニューギニア会がお守りしています)など、ウエワク市内の戦跡を巡拝してから、午後にニューギニア北海岸の都市、マダンに移動しました。マダンはダイビングを中心とするリゾート地として、ウエワクよりもはるかに繁栄しているとともに、ホテルも清潔、快適なことから、セピック地方で戦没地の訪問と慰霊祭を行った御遺族方は、ここまで来て始めて一息つくことが出来ました。

翌十三日は午前中、マダン湾を巡航し、湾内の小島に残されている日本軍の防空壕や大発(上陸用舟艇)の残骸を見学し、午後はヤボフ村にある日本軍の慰霊碑、アレキシス飛行場、の巡拝を行った後、戦時中、軍司令部が置かれていたアムロンの丘(猛頭山)に上り、そこからセピック方面を遥拝し、御遺族方の肉親も含む戦没英霊の皆様に巡拝中のご加護を感謝するとともに、懐かしの東部ニューギニアにしばしの別れを告げました。

十四日は早朝にマダン空港を立ってポートモレスビーに戻り、市内観光と日本大使館の表敬訪問を行い、その晩はホテルのレストランで最後の夕食会。そして十五日の午後にジャクソン空港から帰国の途に就きました。

むっとする暑さのなか、長時間にわたってがたがた道路をひた走り、あるいはジャングルの中の山道をひたすら辿る旅。ホテルのシャワーでお湯が出ないのも、ヤモリが壁をはい回るのも当たり前というニューギニアの慰霊巡拝です。が、例年そうであるように、今年も参加者の皆様全てが、また是非ニューギニアの慰霊巡拝に参加したいと口々に述べておられました。ニューギニアの森に、大地に、河に、風に今は亡き肉親の息吹を確かに感じ取る事が出来る上、質朴でやさしく、人なつっこいパプアニューギニアの人々との交流は、多少の苦労をはるかに上回る思い出を、参加者お一人お一人の心にきざみ付けるのです。

平成19年度東部ニューギニア慰霊巡拝の様子

1ポートモレスビー〜ウエワク


ポートモレスビー、ジャクソン空港で入国審査を待つ巡拝者の皆様


ウエワク 宿泊地となるウインドジャーマンホテルで地元への土産物を点検する御遺族。


ウインドジャーマンホテルの昼食。中華風うどん、といったところであろうか?麺は延びきっているがスープは存外美味しい。


ウエワク ウインドジャーマンホテルそばにある平和公園。日本政府建立の慰霊碑があります。


ウエワク 政府建立の慰霊碑前で全東部ニューギニア戦没者の慰霊祭を斎行しました。


ウエワク 平和公園での慰霊祭の祭壇。御遺族方によって戦没英霊のお写真や、現在の家族の様子を報告するためのパネルなどが置かれています。


ウエワク 祭壇横に安置された御神札。巡拝に参加できない御遺族の依頼に応えて神札をニューギニアまで持参してお祀りをさせて頂いてからして帰国後にお渡ししています。神札には慰霊祭斎行の場所と年月日、御英霊の氏名と戦没地、施主様のお名前が記されています。


ウオム岬のオーストラリア側記念碑。終戦後、この場所で日本の第18軍司令官、安達二十三中将はオーストラリア第6師団に降伏しました。


ウオム岬に残る日本軍の大隊砲

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