平成19年度 東部ニューギニア慰霊巡拝
(つづき)3カウプ村、モロネ村、ウエワク市内巡拝
カウプ村の小中学校でのプレゼントの贈呈式。校長先生からの挨拶を受ける柴田夫人。後に見える学校はキャプテン柴田の意思を継いだ柴田夫人が寄付した費用をもとに、日本政府のODAを加えて建設されました。
小学生たちが地元に伝わる日本の歌を、踊りながら歌ってくれました。軍歌「戦友」をはじめ、「雨雨ふれふれ母さんが・・・」「木曽のなかのりさん・・・」など。現地自活中に日本兵から伝えられた歌が、いまも歌い継がれています。
テスト中の中学生
校舎内の見学
先生、生徒のみなさんと慰霊団とで記念撮影!
カウプ村に残る日本軍腕章?戦時中、日本軍は各村の酋長さん方を掌握し、現地自活に協力してもらっていました。この、恐らく腕章と思われる徽章は日本軍(下のものは中地区隊本部が酋長に出したもの)から村のキャプテン(酋長)に、そのしるしとして出されたものです。
旧モロネ村で慰霊の準備をする御遺族夫妻。奥様のお父上が戦没された場所(目の前のブッシュの中)まで歩いて慰霊を果たすことが出来ました。
亡き父上へお線香をお供へ
現場へは歩いて往復1時間。モロネ村の人達が助けてくださいました。
地元の夫人方との感激の出会い。この夫人たちの父上(カンバリンガ氏)は戦時中、日本軍に食糧を提供するなどの協力してくれました。
モロネ村での記念撮影!再会を約してウエワクに戻りました
ウエワク ウインドジャーマンホテル脇にある「カイ・バー」(地元民が使う食堂)。ご飯、肉と野菜の煮込み、フライドポテトやジュース類が於いてあり、小腹が空いたときに便利です。もちろん、夜のおつまみもここで仕入れられます。
ウインドジャーマンホテル内に残る日本軍の高射砲
他にも四一式山砲など大砲の残骸が幾つか置かれていました
ビーチから見たウインドジャーマンホテル
ウインドジャーマンホテルの朝食。パンに卵、ポークビーンズにソーセージ、そしてコーヒーというメニューが定番。パンはなかなか美味しいですよ!
ウエワク 洋展台(ミッションヒル)にある日本軍慰霊碑。絶好のビューポイントです。
洋展台からはウエワク市内はもとより、海軍根拠地隊が守ったカイリル島や終戦後、降伏した日本軍が集結させられたムッシュ島が望まれます。
ウエワク コイキンにある観音様。独立自動車39大隊戦友会によって建立され、現在も長野県ニューギニア会がお守りしています。管理人のバカラ氏宅には日本軍の航空機銃(写真右)が残されています。昭和20年5月、ウエワクに進攻したオーストラリア軍を迎え撃った日本軍の主力は、航空部隊、対空部隊、兵站部隊などの後方部隊でした。独立自動車39大隊はコイキンから田崎山一帯でオーストラリア軍に激しく抵抗した部隊です。
ウエワク マンデー高校前に残る日本陸軍の照空燈と高射機関砲。ニューギニアで戦没された歌手の上原敏さんも、このあたりに駐屯していたといいます。
ウエワク半島付け根にあるローカルマーケット。タロイモやサクサク(サゴ椰子でんぷん)など、現地自活中に日本兵が食べた食品とも出会えます。
ウエワク空港の待合室。チケットカウンターの上にはピジン語で「エイズに注意!」と記したポスターも。パプアニューギニアも現代世界が抱える多くの矛盾や問題と無関係ではありません。
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