平成19年度 東部ニューギニア慰霊巡拝
(つづき)2アイタぺ・鶏川・ボイキン慰霊
ヤカルム付近 ランドクルーザー2台に分乗して板東河方面への慰霊巡拝に出ました。ウエワク地区の車では珍しく、クーラーが壊れていなかったので大助かりでした!車を手配したアロイス氏に感謝!!
NO1ヤカルムの村人達と記念撮影。昭和19年夏のアイタぺ作戦中、ヤカルム付近は米軍の砲撃や艦砲射撃によって、森も村も破壊されつくしたといいます。中央の老人は戦時中、戦火を避けるために森の中に逃げ込んでいたとのことです。もちろん、日本兵も見たとのことです。
坂東河畔、アファ村での慰霊祭。この付近はアイタぺ作戦中最大の激戦が繰り広げられ、多くの栃木県民が戦死していった場所です。
慰霊のことば・・・第20師団の一員としてこの地で戦死したおじ上の魂に届けよとばかりに呼びかける九州からの参加者。
慰霊祭終了後、神職からアファの戦闘いについて解説を受ける御遺族方
アファ村より日本軍陣地方面を望む。右手奥の森一帯が日本軍の陣地であり、そこからアファ付近の米軍陣地を攻撃したという。
現在のアファ村
マルジップ付近、鶏川の慰霊祭で亡き兄上に語りかける柴田チヨ様
ゼルエン岬 昭和20年、ここでオーストラリア軍と日本軍の間で激戦が繰り広げられました。
ゼルエン岬で記念撮影!!
ブーツ飛行場跡。日本陸軍の飛行機やトラックの残骸が散乱しています。また、この近辺の森ではアイタぺ作戦後、体力を消耗しつくした多くの日本兵が飢えと病に倒れていきました。
ボイキンの慰霊碑前での慰霊祭。ここで亡くなられた電信第3聯隊の長堀惣太郎命の慰霊祭を行ないました。
長堀惣太郎命のお孫さんによる慰霊のことば奏上
ボイキンでの慰霊祭で祭壇に飾られた写真。長堀惣太郎命とお子様の写真が供えられました。
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