平成19年度 東部ニューギニア慰霊巡拝
(つづき)4マダン地区巡拝、ポートモレスビー観光
セピック河の河口部。昭和19年春、マダン、ハンサ地区から撤退を開始した日本軍は、このセピック河口部の大湿原帯を歩いてウエワクに向かいましたが、途中、多くの将兵が力尽き、この周囲で斃れました。
マダン 宿泊先となるマダンビーチホテルでの昼食。ウエワクと違いあらゆる施設が整ったマダンのホテルまで戻ると、ほっとします。
マダンでは午前中、船をチャーターしてマダン湾のクルーズを楽しみつつ、戦跡を巡拝しました。
美しいマダンの海と、クルーズ中に出会ったカヌーで釣りをする子供達
午後は戦跡や慰霊碑の巡拝。アレキシスの日本軍飛行場に残る百式重爆撃機(呑龍)。2年前まではきちんと駐機していたのだが・・・尾部銃座部分が機体から離れてしまったことからバランスが崩れ、ひっくり返ってしまったようである。
胴体下部の爆弾倉
機体にわずかに日の丸が残っています
胴体から離れてしまった尾翼と尾部銃座
アレキシス飛行場の滑走路跡、ところどころに空襲によって出来た爆弾孔が残っています。
ヤボフ村にある東部ニューギニア戦友会建立の慰霊碑
ポートモレスビー ボマナにあるオーストラリア軍墓地。ニューギニア戦等で戦死したオーストラリア兵等が眠っており、日々その尊厳を守るための整備が行われています。因みにこの奥のオーエンスタンレー山脈には、日本兵の遺体が今も埋まったままとなっています。
ポートモレスビーでは日本大使館を表敬訪問させていただきました。
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