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平成17年度 フィリピン戦没者慰霊巡拝記録

(つづき)

平成17年6月17日 5日目 晴一時雨

5:00  起床
5:30  ホテルにて朝食(アメリカンビュッフェスタイル)
     サブマネージャーは約束通りレストランに来ており、一緒に朝食を食べた。
     疲れがピークなのか余り食が進まない。心配される。
6:30  ホテル発、バスにて空港まで移動
     サブマネージャーとお別れ。被っていた麦藁帽子をプレゼント。
8:00  タクロバン空港発。マニラへ(セブ・パシフィック航空)
     荷物チェックで立烏帽子と浅沓を「これはなんだ」と言われるが、「日本の伝統的な帽子と履物だ」と答える。
8:40  マニラ空港着。(定刻より20分前)バスにて移動
     道すがらガソリンスタンドで休憩。しかし、ものすごいスコールが降る。
11:30  カラリヤ日本庭園着。政府建立の慰霊碑の前にて、フィリピン全土の戦没者慰霊祭斎行 (斎主 宮澤さん・斎員 加藤)
     着いた途端にスコールが降る。しかし、お祭りが始まると太陽が出てきた。
13:00  カラリヤ湖湖畔にて昼食(お弁当・日本食)
13:45 カラリヤ発、アンチポロ市へ
     この間峠道が続く。気分の優れない人が多い。
15:50 アンチポロ市テレサ着。徳島県遺族連合会青年部建立の振武集団、歩兵第81旅団(野口兵団)慰霊碑参拝。
が、慰霊碑が取り壊され瓦礫の山になっていた。
18:00 ホテル着、休憩(マニラトレイダーズホテル)
19:00  日本食レストランにて夕食
21:30  ホテル帰着、就寝

 朝五時に起床。レストランに行くと、サブマネージャーが待っていてくれた。今日はなかなか食が進まない。「ちょっとしか食べないな。私も最初の三ヶ月は食べ物が合わなくて苦労したよ」と心配されてしまった。他にも「メールを送ってくれよ」「今度はサーキットで一緒にF1を観よう」などとお話する。しかし、八時の飛行機に乗らなくてはいけない。六時半にホテルを出発する。見送りに出てきたサブマネージャーに、被っていた麦藁帽子をプレゼントする。「最近髪の毛が薄くなったから、ちょうどいいよ(笑)」冗談を言っていた。


レイテパークホテルよりタクロバン湾を望む。むこうに見えるのはサマール島。
 タクロバンの空港着。手荷物検査は昔ながらに一つ一つ検査する。祭壇や装束を持っている我々は、もちろん詳しく検査される。係員が立烏帽子と浅沓を見つけて「これはなんだ」と聞いてくる。「日本の伝統的な帽子に靴だ」と答えるとすんなり通過できた。
 定刻どおりに空港を出発。機内では席順番号で当たった人にプレゼントをあげていたようだが、さっぱり英語がわからずお土産を逃す。
 定刻より20分も早くマニラ空港に到着。バスに乗り込みカリラヤの日本人庭園にある、政府建立の慰霊碑を目指す。途中の町で幾分か渋滞するがまずまず順調。トイレ休憩の為
ガソリンスタンドに立ち寄ると、突然の強いスコール。フィリピンに来て初めてのスコールであったが、バスに戻り少し走ると、すぐに止んだ。
 ほどなくしてカリラヤ日本人庭園着。緑の芝生がよく刈り込んでいて美しい公園だった。銃を持った警備員がたくさんいる。荷物を降ろしているとまたも雨が落ちてくる。公園内の屋根のある休憩所にて止むのを待つ。小ぶりになったのを見計らい慰霊碑前へ。ここには慰霊碑の手前に屋根がついている参拝所があるので、そこに祭壇を組む。そしてフィリピンで散華された全ての御英霊の御霊を偲び、フィリピン全土の戦没者慰霊祭を斎行。(祭主 宮澤さん、祭員 加藤)お祭りが始まると、小雨だった雨もやみ太陽が顔を覗かせた。やはり御英霊が雨を止めさせてくれたのだろうか?それとも雨は御英霊の涙であったのだろうか?


カリラヤ日本人庭園内、フィリピン戦没者慰霊碑
 慰霊祭の後、カラリヤ湖湖畔にてお弁当の昼食。外は非常に蒸し暑いのでバスの中で食べる。何本か持っていたミネラルウォ−ターが殆ど無くなってしまう。昼食後アンチポロへ出発。雨宿りをしていた為、時間がかなり遅れているらしい。しかも道は山道・峠道が続く。さらに疲れからか気分の優れない人が多い。私もガムをずっと噛んで気分を紛らわせていた。
 峠道の一角でバスは停車。アンチポロ市テレサ着。ここは振武集団の歩兵第81旅団(野口兵団)が陣をはった地点である。やはりバスを降りると子供たちが集まってくる。そして慰霊碑は家の裏庭にあるようで、軒先を入っていく。しかしそこには、崩されてしまい瓦礫となった慰霊碑があった。どうやらここは家も塀もなかったが、家を作るので取り壊してしまったようだ。御霊抜きをしっかりした。と住人は言っている。子供たちは瓦礫の山になった慰霊碑に腰掛けてこちらを見ている。なんとも言えない気持ちでバスに戻る。子供たちがあとをつけてきて物をねだるも、生憎何も持ち合わせていなかった。また人数も多く、何人かにあげてしまうと、子供達がたくさん集まりすぎて、収集が付きそうになかった。しかし、こちらが何もできなくても彼等は笑顔であった。なんともやりきれないが、子供たちの笑顔が唯一の救いであった。
 アンチポロを後にしてマニラへ向かう。ガソリンスタンドでトイレ休憩。ミネラルウォーターやコーヒーを購入。ようやく渇きが潤う。ここからすぐにメトロマニラ市内に入るが、やはり心配事は渋滞である。夕刻になっており、最悪ホテル着は8時近くになるのではないかとの事。しかし多少の渋滞はあったものの、6時にホテル到着。予定通りである。どうやら昨年と違う道を進んだようだ。渋滞も首都高のひどいそれよりは、混雑しなかった。
 ホテルの部屋で少し休んで、隣の日本食レストランで最後の夕食。本格的な日本料理に箸が進む。何よりご飯が美味しい。フィリピンではパン中心の食生活だったが、やはりご飯が一番である。
 ゆっくり皆さんと歓談をしていたかったが、宴も酣となってお開き。参加された御遺族の皆さんと日本に戻って集まることを約束した。ホテルに戻って部屋から夜のマニラ湾と町の様子を望む。様々な事に考えを廻らすうちに眠たくなったので就寝。


ホテルよりマニラ市内及びマニラ湾を望む

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