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栃木県護国神社の戦没者慰霊巡拝

平成17年度 フィリピン戦没者慰霊巡拝記録

(つづき)

平成17年6月18日 6日目 晴

7:00  起床
8:00  ホテルにて朝食(アメリカンビュッフェスタイル)
9:00  ホテル発
9:30  市内土産物店にて買い物
10:45  市内免税デパートにて買い物。空港へ
12:05  マニラ空港着。すぐに搭乗手続き開始。
     鈴木さんや現地人ガイドの方とお別れ。
14:05  日本航空942便成田行き搭乗開始
14:30  日本航空942便成田行き、定刻10分遅れでマニラ空港発。
     機内食の昼食が美味しかった。
19:40  成田空港着
     そのまま流れ解散

 あっという間に最終日を向かえる。今日この地を離れると思うと非常に考え深い。
 朝食にレストランへ行くと大変な混雑。マニラのホテルはやはり人が多い。ちなみにお味噌汁がおいてあり、昨日の日本食レストランに続いて口に出来た。日本人の朝はお味噌汁である。
 ホテルを出発し土産物屋へ。民芸品等を扱っているが、フィリピン特産の塗り薬の実演販売をするという。ちょっと試しにつけてみるとオロナインのような感じであった。
 その後、市内の大きな免税店へ。皆さん思い思いに買い物をする。 免税店し出発へ向かう。空港内は大変な混雑。ここで鈴木さんや現地人ガイドの方とお別れ。今までお世話になった御礼をする。
 出国手続きをして、搭乗口へ向かう。手荷物チェックやボディチェックに長蛇の列。また搭乗が遅れる。栃木班は成田に着くのが遅れると、宇都宮行きの最終高速バスに乗れなくなってしまうので少し焦る。定刻10分遅れでマニラ空港を離陸。次第にマニラの町が小さくなっていく。
 機内食はうな重が配られる。またデザートは和菓子である。気分が悪くあまり味わえなかった行きの飛行機と違い、本当に美味しかった。
 四時間のフライトの後成田へ到着。しかし栃木班は一時間後にバスが出てしまうので、とにかくチケットを購入するため走る。だが、荷物がなかなか出てこない。ようやく私の荷物が最後の方に出てきた。ここで千葉の皆さんとお別れ。一通りご挨拶をして税関に急ぐ。先に税関を通過した高橋社長が、バスのチケットを予約していてくれた。なんとか10分前にチケットを購入しバス停に向かう。バス停で高橋社長にお礼のご挨拶。
 バスに何とか乗車。走ったので喉がカラカラである。バスは我々のほか3、4組しか乗っておらず、大荷物の私にとってはラッキーだった。一番前の席を一人で使わせてもらう。
しかし、ディズニーランド付近で大渋滞が発生。フィリピン滞在中もなかったような渋滞である。が、疲れからかいつのまにか車内で眠ってしまった。
 宇都宮に日付が変わる頃に到着。皆さんとお別れのご挨拶をして家路についた。
終わりに
 フィリピン慰霊巡拝が行われてからかなり時間が経ったが、いまでもその六日間になにが起こったのか、ありありと思い出せる。
 上にも書いた通り、私にとって初めての海外がフィリピンで慰霊巡拝。そのことを友達に告げるとびっくりした様子で、「何しに行くの?」「フィリピンで有名なものってなんかあるの?」「危ないとこじゃない?」というような返事が返ってきた。
 かく言う私も、フィリピンがどの様な国なのか。そして60年前に起こった当地での戦いについても、深く認識していなかったのが事実である。「せめてフィリピンでの戦いの概略を掴んでから慰霊祭に奉仕しよう。それが御英霊に対する最低限の礼儀でもある。」慰霊巡拝が決まってから、出来る限り本や史料を集め、順次それを読み進めた。
 戦記や史料を読み進めるにつれ、生々しい描写や「死」に向き合わなければならない兵士の心情など、少しづつではあるがその概略をみることが出来たと思う。しかしそれはほんの一端に過ぎず、実際にフィリピンの地を踏み、慰霊祭を奉仕して初めて戦争とは、慰霊祭とは何なのか。と、いうことを理解できたと思う。
 当時の私は奉職して一年と半年も経たない青二才神主であった。(今もそうである)しかし、私が御奉仕した慰霊祭で御遺族の方は涙を流され、御英霊と再会しお話されていた。そこに海外慰霊巡拝の本質がある。
 神主は「神のみこともち」、つまり神様と人を結ぶもの(媒体)であると言われる。私のお祭りで御英霊(神)と御遺族(人)が結ばれた。海外慰霊祭はまさにそのことを感じることが出来たのである。神主として護国神社に奉職し、間もなくこの気持ちを感ずることが出来たのは、これから神明に御奉仕する上で、何ものにも代え難い経験であった。
 上記の通り慰霊とは、さらに戦争それ自体がどのようなものか、知られる事がなくなってきているのが現状である。それが若い世代ならなおのことであろう。それでも今もなお、現地に赴いて御英霊に、夫に、父親に、兄弟に会いたい。お慰めしたい。と、望むひとがいらっしゃる。この慰霊巡拝を通じて学んだことを敢えて一言で表せば、私達は御遺族の想いに応え、ひいては慰霊の灯火を消すことのないよう、日々努力と勉強を続けることが御英霊に仕える神主の役目である。そう強く感じた慰霊巡拝であった。



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