9月11日(木)
行程表
9/11(木) 曇り |
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7:10 |
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TSデッパ。イオリバイワへ向かう。道は川を離れ、再び尾根上を辿る。 |
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7:45 |
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1本。行動中はかなり汗をかくが、休むと涼しい。 |
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7:50 |
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デッパ。 |
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8:05 |
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2本。フランク社長落伍気味。尾根はゆるやかな斜面である。 |
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8:10 |
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デッパ。里芋みたいな葉が群生しているところあり。ポーターに聞くと「ブッシュ・タロ」とのこと。食用にはならないそうである。 |
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8:45 |
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3本。フランク社長は落伍。追い付くのを待つ。氏はマラリアによる熱発とのことで非常に苦しそう。谷の下に誰かいるらしく、ポーター達は盛んにシャウトしている。聞くとイオリバイワ村の人達とのこと。我々にはなにも見えず、気配もわからなかったのに。 |
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8:55 |
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デッパ。 |
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9:30 |
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豪州軍墓地跡、4本。墓地跡は道の右側尾根上の小広いところ。遺体は全てボマナ墓地に改葬したが、まだ骨片などが埋まっているので、慎重に歩くようにとのこと。 |
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9:45 |
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デッパ。が、登山道を3分位降りて上り始めた地点から右手の谷に水場あり、ポーター達が水汲みに行ってくれる。生飲可。冷たく美味い! |
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10:30 |
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5本。イオリバイワ日本軍陣地跡の広場。大休止の上、陣地跡を見学。戦闘の焦点となった三角山がよく見える。陣地の遺構はココダ道から左手の小道を入る。この小道も日本軍当時のものとのこと。交通壕、山砲陣地、蛸壺が各所にみられるが、中には豪州軍のものと思われるものも混ざっている。 |
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11:50〜12:15 |
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イオリバイワ地区戦没者慰霊祭(斎主、須原) |
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12:25 |
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デッパ。道はここからオフィ川に向かい下りになる。はじめは勾配もきつくない。 |
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12:35 |
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6本。昼食。下りの尾根上にて。 |
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12:55 |
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デッパ。下るにつれ勾配は次第にきつくなる。途中、道沿い2〜3箇所に日本軍のものとおもわれる蛸壺あり。 |
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13:30 |
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オフィ川、豪州軍基地跡テントサイト着。テント場は山の急斜面を4段に整地したもの。ダンロップ10張ほどのスペース。整備状況良好。テント場上部には簡易トイレ(穴に木を掛けたもの)2ヶ所あり。オフィ川対岸にもテントサイトあり。そちらも10張程度の広場となっている。水はオフィ川に降りる。綺麗だが念の為、煮沸または浄化剤が必要。水量も多く、水浴び、洗濯に好適。
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行動記録
7:20過ぎにTSをデッパ。道は川を離れ、再び尾根沿いの登りとなる。勾配はそれほどきつくないが、フランク社長が落伍気味である。聞けばマラリアによる熱発とのこと。休憩時にザックをまくらに倒れていた。ニューギニアのプロでも罹るか!または、ニューギニアのプロだから罹るのか?登りの途中、ボーイ達が谷の下に向かって盛んにシャウトしはじめた。谷からもしきりにがある。聞けばイオリバイワ村の村人達だとのこと。我々にはなにも見えず、気配もわからなかったのに。彼らの五感はまだまだ鋭い。
豪軍墓地跡
三角山を望む
登り続けると、やや広い尾根上のコブに出る。ここが豪軍墓地跡である。墓地跡は道の右側、尾根上の小広いところ。遺体は全てボマナ墓地に改葬されたものの、まだ骨片などが埋まっているので、慎重に歩くようにとのこと。そこから広い尾根道を進むが、墓地から3分位過ぎた右手の谷に水場があり、ポーター達が水汲みに行ってくれる。生飲可。冷たく美味いのだが、水場への踏みあとらしきものは見えなかった。行者の隠し水さながらである。ここから道は目の前に見えるうっそうとした山に向かい、ひとしきり登ると山腹を巻き道気味にあがることになるのできつくはない。途中、右手に2・3箇所の小平地が見られるが、これも豪軍墓地の跡である。イオリバイワの戦闘では多くの豪州兵が倒れたのである。ここを過ぎ、なおも登ってゆくとジャングルが切れた広場に出る。これでイオリバイワの山稜を乗っ越したわけである。広場の右手に日本軍が「三角山」と名付けた円錐形のピークが望まれる。昭和17年9月13〜16日、ここで高知144聯隊の3個大隊と豪軍5個大隊が激突した。日本軍は三角山を占領し、そこからこの広場のある一帯を機銃で制圧し、豪軍を破ったのである。フランク社長によれば、この広場のあたりで多数の豪州兵が戦死したとのこと。イオリバイワを占領した日本軍は、豪州軍の遺棄死体120を確認している。日本側の損害、戦死36名、負傷者106名(144聯隊の記録だと戦死72、負傷81)。
日本軍陣地跡への道
この小道も当時のものという
早速大休止の上、戦跡の見学をする。日本軍を食い止めるため、豪州軍はこの尾根に陣地を構え、日本軍は豪軍を破ってから、やはりこの尾根一帯に展開し、イミタ方面の敵軍と対峙していた。日本軍陣地の遺構はココダ道から左手の小道を入る。この小道も日本軍当時のものとのこと。この道沿いに交通壕、山砲陣地、蛸壺が散在しているが、中には豪軍のものと思われるものも混ざっている。山砲陣地とされる場所で簡単な祈りをあげてから広場に戻り、ツアー仲間やポーター達が見守るなか、第1回の戦没者慰霊祭を行なう。斎主は須原が担当。ヒモロギを付ける適当な木が見当たらないので、中山が使っている修験用の金剛杖を地面に刺し、ヒモロギをとりつけ、座はボーイ達にバナナ?の葉を敷きつめてもらいしつらえ、日・パ・豪の魂に祈る。司会はケイト嬢が引き受けてくれた。
イオリバイクでの慰霊祭
山砲陣地跡にて
足元が砲座跡
慰霊祭終了後、ただちに出発。道はここからオフィ川に向かっての下降となる。はじめは勾配もきつくない。途中、景色の開けた尾根上で昼食。そこからは下るにつれ勾配がきつくなり、道はオフィ川に向かって急降下する。道沿い2〜3箇所に日本軍のものとおもわれる蛸壺があった。あと少しで川に出るかなと思う頃、道の右手にテント場が現れる。これがオフィ川の豪州軍基地跡テントサイトである。テントサイトでボーイのスタンレー氏から、オカリナッツを貰う。これは美味い!!!
水場、幕営地
オフィ川のテント場は山の急斜面を4段に整地したもの。ダンロップ10張ほどのスペースがあり、日差しは余り入らないものの整備状況は良好である。テント場上部には簡易トイレ(穴に木を掛けたもの)2ヶ所がある。また、オフィ川対岸にもテント場があり。そちらも10張分程度の広場となっている。水場はオフィ川を使う。水量豊富で綺麗だが念の為、煮沸または浄化剤が必要。また、水浴び、洗濯に好適である。