9月14日(日)
行程表
9/14(日) 晴 | |||
夜分、空を見上げると満天の星。日本の日高山脈で見る以上に美しい。朝食後、御嶽百草(腹薬)を服用。登山道は村のエアストリップ沿いに谷に向かう。途中、2回下痢。水様便。 |
|||
8:20 | 川渡渉、ロープにて確保。ここから山の登りにかかる。勾配ははじめややきつく、上がるに従いゆるやかに。 | ||
8:35 | 1本。下痢便。 | ||
8:40 | デッパ。 | ||
9:20 | 2本。中山猛烈な下痢で落伍気味。フランク氏から薬をもらって飲む。下痢便あり。水様便。 | ||
9:35 | デッパ。樹林帯の登りが続く。 | ||
10:15 | 3本。下痢で疲労困憊。休憩中に林に突撃、猛烈な便意なるも、粘液が少し出るだけ。社長の指示により、中山の荷物はカ―ゴボーイへ。 | ||
10:30 | デッパ。 | ||
10:55 | 4本。下痢。粘液状態。 | ||
11:10 | デッパ。勾配がゆるやかになるとブリゲートヒルも近い。曇ってくる。 | ||
11:45 | 5本、ブリゲートヒル。豪州軍本部跡の山頂着。公園化され、記念碑と国旗掲揚塔あり。豪州軍に敬意を表わす為のセレモニーあり。豪州旗を掲揚し、5分間黙祷。会社さしまわしのエフォギ村民が迎えに出て、果物などを出してくれる。大休止。展望絶佳。当方は果物食べず絶食。 | ||
12:50 | デッパ。中山、荷物を持てるようになる。 | ||
13:05 | 6本、ブリゲートヒルピーク直下の鞍部。日本軍陣地跡。道の右手に蛸壺2ヶ所あり。数年前、日本兵の骨が発見されたという。蛸壺附近を斎場とする。 | ||
13:10〜13:45 | エフォギ地区戦没者慰霊祭(斎主、中山)。 | ||
14:27 | 7本。「カギ展望台」エフォギ、エフォギ2、カギが一望のもとに見渡せる。 |
||
14:35 | デッパ。 |
||
15:05 | エフォギ村ゲストハウス着。つくと強烈なスコール。ゲストハウスはミュージアムの横にあり。全員は入れないので何人かは幕営。水はすぐ横のポーター小屋脇の水道。要浄化剤。水浴はSDA教会裏というが、下痢なので行かず未確認。村は広大で戸数多く、立派である。SDA教会もココダ道中でもっとも大きく、かつ綺麗である。 |
行動記録
マナリのゲストハウス前でラジオを聞く人々
羽目になってしまった。なおもあえぎあえぎ上る。かなりあがったところで道は次第に緩やかになり、更に平坦な尾根道を進むとブッシュが切れ、芝生の丘が見えてくる。これがブリゲートヒル。豪軍本部跡である。昭和17年9月8日、この山稜一帯に陣を敷いた豪州軍を高知144聯隊が撃破したところである。山頂は公園化され、豪州側の記念碑と国旗掲揚塔が設けられている。日向は暑いものの、360度の展望が楽しめる。ここでツアー一行は豪州旗を掲揚したうえで5分間の黙祷を捧げ、豪軍戦死者に敬意を表した。また、山頂には会社差し廻しのエフォギ村民が迎えに出て、果物などを出してくれる。但し、当方は残念ながら絶食。
ブリゲートヒルの山頂と隣の峯の間の鞍部、登山道右手のブッシュの中に、日本軍の蛸壺陣地が残され、数年前、日本兵の遺骨も発見された場所である。早速第2回目の慰霊祭を行なう。斎場は蛸壺の脇とし、立ち木にヒモロギと花を掛けて行なった。司会はケイト嬢。祭典終了後、再びエフォギ目指して歩き始める。道は陣地跡の鞍部から尾根沿いに登り、そこから山腹左側を巻き、戦時中に教会のあった小ピーク(ミッション・ヒル)が右手にみえると、草原の下りとなる。途中、エフォギからカギまでが一望できる休憩点がある。ここから見ると、ブリゲートヒルからカギ村までは、稜線で繋がっているのが判る。昔のココダ道はこの稜線上を通っていた。さらに坂道を下り切り平坦な道をたどればエフォギ村である。
エフォギ村
エフォギ村のSDA教会と
そのメンバたち
空路補給が出来たためであろうか、夕食は牛肉のカレー風煮込み缶とライス、そしてなんと、ケーキであった。が、下痢患者の筆者は紅茶と味の薄い塩クラッカーだけの、まことに情けない食事となった。
水場、幕営地
@ブリゲートヒルの広大な山頂は、非常時の幕営地としてよいであろう。ただし、水場はなし。Aエフォギ村のゲストハウスはミュージアムの横にある。20人も入れば一杯といったところ。建物は高床式で壁もあるがやや古びている。幕営はゲストハウス前の広い草地が好適。水場はゲストハウスの隣にあるボーイ小屋脇の水道だが要浄化剤。水浴はSDA教会裏というが、筆者は下痢なので行かず未確認。