9月13日(土)


行程表

9/13(土) 晴
  5:30   起床。夜明けは冷える。薄手の上着を着て寝袋にくるまると丁度良い程度。
  7:00   ブリーフィング。
  7:30   デッパ。フランク社長から「インファントリー・スロー」(昔の豪州兵の荷物の担ぎ方)を習う。上出来。道は村を突っ切り、尾根を下ってゆく。
  7:55   1本。カーゴボーイ達が日本軍と豪州軍の薬莢を拾ったというので見せてもらう。
  8:00   デッパ。
  8:25   坂を下り切った平坦地に出る。2本。(ナオロ旧村から400米程の地点)。
  8:30   デッパ。平坦地をもくもくと歩き、川を目指す。フランク氏によると、ブラウン川でも前は兵の骨が見つかったとの事。
  8:50〜9:15   ブラウン川渡渉。流れは速いが水量少なく木橋(倒木を掛け渡してあるだけ)もあり、安全であった。念の為、ボーイ達がロープで確保して渡す。河原は直射日光で暑い。
  9:40〜9:55   小川渡渉。ブラウン川の半分程度の幅だが流速はこちらのほうがある。安全の為ロープを掛け渡し、ボーイが確保して渡る。ここからブラウン川沿いに道をたどる。2ヶ所に木橋あり。
  10:20   小川側の豪州軍通信所跡、3本。1張りは可能。電話線ケーブルのリールが朽ちている。水補給。ただし、浄化剤を入れる。谷に下りたためか、日向はうだるような暑さ。
  10:30   デッパ。谷から山に取り付く。樹林中の厳しい急登が続き、大汗をかく。
  10:53   4本。急登途中。風があり、休むと涼しいが、歩くと流汗淋漓、やりきれない暑さ。
  11:00   デッパ。
  11:25  

5本、急登を登り切った尾根の平場。ここからは勾配もゆるくなり、涼風も得られる。このあたりで登りの八合目位。

  11:40  

デッパ。

  11:50   6本。登りの頂上にて。昼食。ダンロップ10張分の広場。野営の跡あり。右手は樹林が切れているので展望良好。遠い尾根上にナオロやその分村が眺められる。気持ちの良い休み場。
  12:30   デッパ。
  12:55   7本。GAPにて。峠になっていてこれからの行く手がよく見える。山岳重畳…。
  13:00   デッパ。気温は大分高く感じられる。ここから先は樹林帯の下りだが、暑い。
  13:10   8本。
  13:15   デッパ。
  13:30   9本。暑さのためか、頻繁に休みを取る。
  13:40   デッパ。
  13:58   村手前の水場、10本。水量豊富で冷たく美味い。但し、浄化剤をたらす。
  14:05   デッパ。丈の高い草原中の道となり、直射日光を浴びるので暑い。廃村とおぼしき広場を過ぎると村は近い。小川にかかる木橋を渡れば村に入る。
  14:20   メナリ(マナリ)村ゲストハウス着。広大な村の広場を横切り、村の端に行くとゲストハウスがある。程度はナオロと同じだが、ちゃんと壁があり、吹き抜けではない。ココダに57.3km、オワイ・コーナーへ36kmの表示あり。ツアー全員は泊まり切れないので、我々含めて何人かが芝生の上に幕営。水は村の上方(我々が来た方)の沢。水浴もできる。また、広場のゲストハウス近くに水道がにょっきり飛び出している。勿論両方とも煮沸、もしくは浄化剤は必要。便所は村外れ。一見ただの便所だが夜は巨大ごきぶりの巣窟となり非常におどろ。黄泉の国もかくや。村にはエア・ストリップと病院あり。小学校もSDA教会も大きい。村としてはエフォギに次ぐ大きさとか。長老はフランク氏の友人。会社の手配か、果物と椰子の実、オカリナッツ等の饗応あり。パパイアをしこたま食べ、子供達と大いに遊ぶ。神社のマスコットキャラカード30枚を長老を通じて進呈。夕食後、子供と当方で歌合戦。向こうは賛美歌、こちらは山の歌。綺麗で可愛い声であった。

行動記録

5:30に起床。流石に山の中だけあって、明け方はなかなか冷える。薄手の上着を着て寝袋にくるまると丁度良い程度。蚊屋が思わぬ暖房の役割を果たしてくれた。出発前のブリーフィングでフランク社長が戦時中のエピソードを語る。日本軍が後退したあとには身動きのできない傷病兵が多数残されていたが、彼らは豪兵が近づくと、手榴弾を発火させ、敵兵を巻き添えに自決しようとした。そこで豪軍は動けない日本兵を発見すると、2・30メートル先から射殺していったとのこと。


ブラウン川の渡渉点


マグリ山脈の峠からの展望
登山道はナオロの村を突っ切り、尾根を下ってゆく。下り切ると樹林の中の平坦な道となり、そこから30分ほど歩けばブラウン川の渡河地点となる。水流は速いが水量は少なく、木橋(倒木を掛け渡してあるだけ)もあり、安全であった(但し、水量が多いとなかなかの難所になるというので注意が必要)。念の為、ボーイ達がロープで確保して渡す。さらに進むと今度はブラウン川の半分程の川を渡る。流速はこちらのほうが速い。安全の為ロープを掛け渡し、ボーイが確保して渡る。道はしばらくブラウン川沿いに進んでから、豪州軍通信所跡の先から再び尾根に取り付く。通信所跡には小川もあるので、水を補給すと良いだろう。ここから道は樹林中の厳しい急登となり、大汗をかかされるであろう。急勾配に耐えているうちに尾根上の平場に出る。ここからは斜面もゆるくなり、涼風も得られる。このあたりで登りの八割をこなしたことになる。さらに登れば右手に展望がある広場に出て、長かった登りも終わりとなる。広場はダンロップ10張分のスペースがあり、野営の跡も認められた。右手は樹林が切れているので展望良好。遠い尾根上に見えるナオロやその分村を眺めながらゆっくり休む。そこからしばらく進むと一寸した峠を越え、樹林の中をだらだらと下る。暑さに辟易しながら歩いていると、有り難い事に水量のある沢に出る。ここからは丈の高い草原の道となり、直射日光を浴びるので暑い。廃村とおぼしき広場を過ぎ、小川にかかる木橋を渡ればメナリ村に入る。


村の長老と
私が持っているのは村付近で発見された
日本軍の銃剣
村にはエア・ストリップと病院あり。小学校もSDA教会も大きい。村としてはエフォギに次ぐ大きさとか。村の長老はフランク氏の友人で、警官をしていた方とのこと。戦時中に豪軍の補給品担送要員として動員されたが、弾薬など、余りに重いものばかり担いだので肩をこわしてしまったとのこと。彼は豪州政府から勲章を授与されたが、豪軍側に動員されたニューギニア人の補償問題は未解決である。村に残された日本軍の銃剣を見せてもらう。この持ち主はどうなったのであろうか?


ヤシの果汁を飲む
村では会社の手配か、果物と椰子の実、オカリナッツ等の饗応があった。ここでパパイアをしこたま食べたのが後に仇となる。村では子供達と大いに遊び、神社のマスコットキャラカード30枚を長老を通じて進呈。夕食後、子供と当方で歌合戦。向こうは賛美歌、こちらは山の歌。綺麗で可愛い声であった。夕食にはヤム芋とタピオカ芋が出された。もちもちして美味しいものである。この日、シノイ氏やスタンレー氏をはじめとする、 ボーイ達と初めて長話をした。この日以後、次第にボーイ達と話すことが多くなった。

夜半、下痢がはじまる。

水場、幕営地

@登り途中の広場。テント10張分、水場は見当たらなかった。


マナリ村ゲストハウス
Aメナリ(マナリ)村ゲストハウス:広大な村の広場を横切り、村の端に行くとゲストハウスがある。程度はナオロと同じだが、ちゃんと壁があり、吹き抜けではない。ココダに57.3km、オワイ・コーナーへ36kmの表示あり。ツアー全員は泊まり切れないので、我々含めて何人かが芝生の上に幕営。水は村の上方(我々が来た方)の沢。水浴もできる。また、広場のゲストハウス近くに水道がにょっきり飛び出している。勿論両方とも煮沸、もしくは浄化剤は必要。便所は村外れ。一見ただの便所だが、夜は巨大ごきぶりの巣窟となり、黄泉の国もかくやというおどろおどろしい世界となる。













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栃木県護国神社