9月17日(水)
行程表
9/17(水) 晴 | |||
5:45 | 起床。 | ||
7:00〜7:35 | ブリーフィング。 | ||
7:45 | デッパ。 | ||
8:58 | 1本。相変わらず右岸の山すそを下ってゆく。道は昨日より広くなり、快適。 | ||
9:10 | デッパ。カギ村に帰る村人10人と挨拶をする。内、一人の老人が西村氏の友人とのことで握手を交わす。 | ||
9:50 | 2本。 | ||
10:00 | デッパ。足任せに下れる道。 | ||
10:40 | 3本。イオラ・クリーク村跡。かなり大きな広場となっていて、幕営も可能。宿泊可能な簡単な小屋掛けがしてある。記念碑には両軍の銃弾、靴の皮などが載せられている。地面を掘るいくつかの薬莢や小銃、機銃の弾丸が出てきた。記念碑前からスタンレー支隊陣地に向かい勤行。 | ||
11:20 | デッパ。 | ||
11:30 | イオラ川渡渉、左岸にわたる。 | ||
11:33 | 豪州軍記念碑通過。 | ||
11:55 | 4本。スタンレー支隊陣地跡にて昼食。右手の大木奥の林に蛸壺、軽機陣地あり。 | ||
12:40 | デッパ。山の左斜面の巻き道となる。ゆるやかな勾配で下っている。途中、日本の山砲弾用弾薬箱が遺棄されていた。 | ||
13:25 | 5本。エローラ村を見渡せる場所にて。 |
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13:35 | デッパ。巻き道続きで一寸うんざりしてくる。 |
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13:50 | 川を徒渉、6本。 | ||
14:00 | デッパ。ここからきつい急登となり、一気にエローラ村に上がってゆく。コーヒーの木が目につき始めたら村は近い。 | ||
14:50 | 7本。エローラ(アロラ)村ゲストハウス着。目の前が気持ちの良い芝生で、ハウス脇には食卓も用意されている。水は小屋前の水道。水シャワーもある。便所あり。 |
行動記録
例によってブリーフィングの後に出発。相変わらずイオラ右岸の山すそを下ってゆく。ただし、道は昨日より広くなり、さらに下るにしたがって巻き道状から尾根上の下りとなるので歩きよい。途中、カギの村民10人余と挨拶をする。内、一人の老人が西村氏の友人とのことで握手を交わす。途中、道の右側に朽ちかけた大木の切り株がある。これは日本軍が機銃を載せるために切ったものだという。なおも足任せにくだってゆくとジャングルが切れ、イオラ・クリーク村跡に出る。ここはかなり大きな広場となっており、幕営も可能だし宿泊可能な簡単な小屋も設けられている。ここで大休止。イオラ・クリークの記念碑
イオラ・クリークから
日本軍陣地跡を望む
ここから道はイオラ川の左岸に移る。わたって一寸歩いたところに豪軍記念碑があり、そこからゆるやか山腹の道を登ってゆくと、右手に大木がある。ここで昼食となる。この一帯はスタンレー支隊の陣地であり、大木の後の林の中に蛸壺が散在している。フランク氏によると軽機を持った小隊規模の陣地であろうとのこと。日本側の資料によれば、塚本大隊陣地の左端部にあたる。ここから道は山の左斜面の巻き道となり、ゆるやかな勾配で下ってゆく。途中、日本の山砲弾用弾薬箱が遺棄されていた。しばらく歩くと道からエローラ村を見渡すことができる。近いように思えるが、ここからまだしばらくかかる。村へはなおも巻き道を下り、小川を徒渉してからきつい急登をこなさなくてはならない。コーヒーの木が目につき始めたら村は近い。エローラ(アロラ)村のゲストハウスへは、村の広場から、右に入ってゆく。
林中に残る日本軍の塹壕
道端に日本軍の砲弾ケースが落ちていた
夕食後、須原はそそくさとボーイ小屋に遊びに出ていった。筆者はオーストラリア人と歓談し、フランク社長からトルコの慰霊(氏はガリポリにもツアーを出している)の話しや、更にフィニスティール・サラワケット地区の状況を聞いてから、ボーイ小屋に遊びに行った。ここでの彼らとの話しは忘れられない思い出となる。
水場、幕営地
■イオラ・クリーク村跡広大なスペースで、テントも多数張ることができるし、現地民の宿泊小屋もある。水はイオラ川からとる。
■エローラ村ゲストハウス
やや老朽化しているのか、私が入り口の階段を上がろうとすると、踏み板が割れそうになった。デブ侵入禁止というところか。目の前が気持ちの良い芝生の広場になっており、幕営も10張は可能である。ハウス脇には食卓も用意されている。水は小屋前の水道。水シャワーもある。勿論便所もあるが、程度はいつも並である。
エローラ村ゲストハウス